篆刻雑記(十二)

また事故により内印が改鋳されたことがあり、治暦四年(一〇六八年)十二月、皇居の火災で内印も類焼し、翌年改鋳されています。

 

さらに江戸時代の東山天皇の時、内印が盗難にあい紛失するという大事件が起こっています。やむなく内印は新しく調製されたのですが、その後盗難に遇った御璽が紙屑屋の店頭で発見され献納されました。このため新鋳造印の使用は中止され、この災厄に遇った旧印が明治まで引き続き使用されました。

 

現在宮内庁侍従職で保管され国家の文書などで使用されている『天皇御璽』と『大日本国璽』の両印は明治維新にあたり、明治元年に印司に任ぜられた中村水竹により制作されたものが、明治七年に印文の字体が典雅を欠いているとの理由で、印司の後任に任ぜられた京都の篆刻家、安部井櫟堂により改鋳されたもので、いずれも印面方三寸(唐尺で八・七センチ四方)、重さがそれぞれ四・五キロもある純金製の大印です。押すのも一苦労というところでしょう。

 

先の昭和天皇が崩御された時、新天皇が皇位継承のために最初に行なったのが『剣璽など承継の儀』でした。この儀式は天皇の証となる神器などを承け渡す儀式です。剣璽の剣とは『天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)』、璽とは『八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)』で皇位とともにある神器とされています。さらにこの儀では、剣璽とともに天皇の印『御璽』と国の印『国璽』も引き継がれるのです。

 

御璽、国璽はもちろんのこと剣璽の璽もこの古代中国のことに由来しているのです。日本皇室は古代中国のならわしの名残を色濃く受け継いでいるようです。

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